新山清 写真展 「vintage photographs」

新山清 写真展 「vintage photographs」

2018年 3月14日(水)〜31日(土)18:00~23:00
定休日 日・月・火
*土曜日のみ15:00より開廊 バーは18:00より

<オープニングレセプション>
3月14日(水)18:00~23:00

2016年春「Subjective Photography vol.1」として新山清の残存しているネガから、新たに手焼きしたニュープリントをスタジオ35分で展示し、好評を博しました。
今回は当時のビンテージプリントを展示いたします。1950年から没年となる1969年までに焼かれた作品には、ビンテージならではの質感と時代を感じられます。この機会にぜひご覧ください。

<新山清とサブジェクティブ フォトグラフィー>

戦後1950年代に入り、土門拳や木村伊兵衛などを中心としたリアリズム写真運動は写真界に多大な影響を及ぼし主流となっていきます。
1955年の土門拳による「第1期リアリズム終焉の宣言」から読み取れるように、50年代もしばらくするとリアリズム写真運動は停滞気味となり、新たな写真表現が期待されていきます。そんな機運の中でサブジェクティブフォトグラフィー(主観主義写真)と呼ばれる新しい写真表現が現れます。

リアリズム写真は敗戦の苦しみ、平和の素晴らしさ、大衆の喜怒哀楽などをテーマに事実の客観性のみを追求していった結果、写っているモチーフの力に頼りすぎ、作家不在の創造力のない表現に陥っていきます。
一方、ドイツの写真家オットーシュタイナートにより提唱されたサブジェクティブフォトグラフィーは作家の主体性、感覚、意識を重視し、視覚言語としての写真表現の拡張を試みようとしました。これはリアリズムにかわる新たな写真表現として日本でも受け入れられていきます。

オットーシュタイナートから新山への手紙が2通発見されています。これはシュタイナートの展示企画「subjektive fotografie」の参加への招待状でした。「subjektive fotografie」(1951)はドイツで開催された国際写真展であり、各国から写真家が選ばれ、彼等の作品が展示されました。この展示は大きな反響があり、のちに「subjektive fotografie2」(1954) 「subjektive fotografie3」(1958)と展開していきます。このうちの1と2はシュタイナートにより写真集も出版されています。このムーブメントはヨーロッパ各地を巡回し、日本でも「国際主観主義写真展」と題して1956年に日本橋高島屋で行われました。
どのようにしてオットーシュタイナートが新山清の存在を知ったかはわかりません。当時、新山は写真業界では多少は知られてはいましたが、写真展や写真集があるわけではありませんでした。シュタイナートが新山に出した手紙の内容、日時をみると1通目の手紙は「subjektive fotografie2」への参加招待状であることがわかります。しかし「subjektive fotografie2」の写真集に新山の作品が入っていない事をみると、新山は作品は送っていないようです。もう1通の「subjektive fotografie3」の招待も内容を読むと以前と同様のようです。シュタイナートの2度のラブコールを新山が無視していたのかそうでなかったのかは、もはや謎です。ただ1959年にスイスで出版されている雑誌「camera」のsubjektive fotografie特集号で新山清の作品が最後のページにドーンと掲載されていることやシュタイナートからの手紙の内容からサブジェクティブフォトグラフィーの重要な作家の一人として新山清は高く評価されていた事が伺えます。

新山 清
1911年ー1969年 愛媛県生まれ
サブジェクティブフォトグラフィー(主観主義写真)と呼ばれる作品を数多く残した写真家。植田正治、濱谷浩など多くの写真家と交流を持ち、アマチュア精神を貫き写真表現を追求した。