SUBJEKTIVE PHOTOGRAPHY VOL.4 原本康三写真展

2022年1月19日(水)~12月18日(土) 16:00-22:00
定休日:日・月・火

スタジオ35分
東京都中野区上高田5-47-8
※新型コロナウイルスの状況次第で日時変更もありますので、SNSまたはホームページをご確認の上でご来場ください。

 

スタジオ35分ではサブジェクティブ フォトグラフィー(主観主義写真)と呼ばれる1950年代に起きた写真表現に注目し、これまでに新山清、大藤薫、後藤敬一郎を紹介してきました。本展示はシリーズ第4弾として、原本康三の写真展を開催いたします。

原本康三(1921~2006)は戦後、広島で活動した写真家です。当時の広島には原本をはじめ、大藤薫や迫 幸一など主観主義写真に関わる写真家がいました。この3人は主観主義写真の運動を提唱したドイツの写真家 オットー・シュタイネルトが主導したグループ展「subjektive fotogarfie」のシリーズに参加した数少ない日本人の写真家でもあります。しかし、それに関わった当時の写真家のほとんどは知られておりません。原本康三もその一人です。
原本の写真の魅力はその運動や時代背景を知らなくても、十分に伝わる表現力があります。本展示は原本康三が残した数少ない作品をニュープリントで紹介いたします。

 

写真家・原本康三

写真家・原本康三(1921年~1994年)を紹介した資料は極めて少ない。
おそらく写真に関心のある方でもその名前を聞いただけで「写真家である」と答えることができる方は少ないのではないかと思う。
原本のことを調べると雑誌『アサヒカメラ』1960年12月号に小特集的に紹介されていることがわかった。そこには口絵として8ページにわたり10点の原本の写真が掲載され、その解説を瀧口修造が行っている。そこには作者本人が話したか記述した「作者のことば」があり、「大正10年生まれ・広島県佐伯郡五日市町・戦時中は航空光学兵器を研究し、戦後23年頃から写真制作をはじめ、月例にも応募、その後二科展、ドイツ主観写真展等に入選している。現在写真材料商経営」とある。
写真材料商を営んだ場所、それは広島市の西側、現在では広島市佐伯区海老園という場所である。
『アサヒカメラ』1960年12月号にはまた福田和彦の『海の写真詩をうたう男。口絵「自然は素描する」の原本康三について』 という文章が掲載されている。福田和彦は雑誌『VOU』124号125号(1970年)に主観 主義写真を提唱したドイツの写真家・オットー・シュタイネルトの論文「客観的写真と主観的写真」を翻訳、紹介しているVOU同人である。 福田が原本作品と出会うのは1952年。当時の福田は雑誌『光画月刊』の編集を行っていた。何かの仕事のついでに月例写真の落選印画の整理をやったとき、何千枚という写真の中からふと目にとまった立派な格調の高い写真があったそうだ。
写真の裏を見ると迫幸一、大藤薫、杉原俊一、原本康三という名前であったが、みな広島在住の写真家たちであった。やがてこの広島陣営が『光画月刊』の口絵を毎号飾るようになった。原本もたびたび特選を得て、年間ベスト三位にランクされた。1956年、福田は編集を退き、自由な著作生活に入る。
だが、原本はかわらず福田のもとに作品を送り続け、この頃から作品の抽象度があがり、豊かなイメージが実ったという。一枚一枚が海の詩になっていたそうだ。そこで福田が原本に第三回主観写真展への出品をすすめ、シュタイネルトに原本作品の批判を仰いだ。結果は予想通りの好評であり、スイスの『CAMERA』誌上にも出品作が掲載され、ベルギーでの「主観写真選抜展」にも招待された。この展覧会には原本康三や新山清、福田にとっては『VOU』での同人仲間である鳥居良禅等が参加している。 「自然は素描する」は英文タイトルが「Marine Composition」であり、文字通り海岸で撮影された抽象的な造形写真であり、それはまるでカメラで描かれたデッサンのように見ることができる。
1967年3月20日~25日には三菱電機ギャラリーで瀬戸内海を被写体とした原本康三写真展を開催、1985年には広島県写真連盟の連盟表彰を大藤薫とともに受けている。だが、1960年の時点で福田は以下のように書いている。「第二回モダンフォト協会展において、かれの作品を特別展示したのも、多年にわたるかれの制作活動をたたえ、かつ原爆症により今後の制作が意のままにならぬかれをなぐさめる意味からであった。」 と。自宅にとどまれば被害はなかったかもしれない。だが原本は市内から避難してきた戦災被害者が肉親をさがすというので原爆投下翌日に車で市内にでかけ、原爆の余じんがたちこめるなかを歩き回ったのだった。その際に原本は「死の灰」にむしばまれたのだった。原本の作品は原爆症が進行するなか、おとろえた身体にむち打つように制作された 「海」をモチーフにした命の詩なのである。「私は、写真のメカニズムのもつ偶然性の中 にこそ、新しい美を見つけださねばならないと考えている。その偶然性とモノクロームの もつ否定と肯定の極端な抽象性に、わずかにテクニックを与えて、瀬戸内海の詩やハーモニーの発見を試みた。」原本自身の言葉である。

中村惠一

 

原本康三  Kozo Haramoto
(1921-2006)
広島県佐伯郡五日市町生まれ
24歳の時に広島で原爆投下を経験する
前衛芸術家集団「モダンアート」に所属
広島市内で写真館を経営する傍ら造形写真に傾倒し作品製作をする。