Subjective Photography Vol.1 Niiyama Kiyoshi 1991-1961

2016年4 月 20 日(水)~5月7日(土) ※展示期間中の祝日は営業しております。
営業時間: 18:00~23:00 定休日:日・月・火
協力:コスモスインターナショナル

新山清は戦前から戦後に活躍した、知る人ぞ知る写真家です。新山清は明治44年に生まれ、昭和44年に通り魔に襲われ58歳で亡くなるまで自分の写真表現に没頭し続けた、稀有な写真家の一人です。新山は写真を撮るために珍しい場所に行くわけでもなく、自分の身辺で撮りたいものを自由に選び撮影に没頭し続けました。そして、その日常は彼の視点により非日常へと変貌し、新たな世界を作りだしていったのです。評価、収入、流行など一切関係なく自分の写真表現の世界を一貫して追求してきた作品は現在でも古びる事なく新鮮であり、なによりそこから伝わってくる新山清の写真に対する無垢な姿勢は純粋な喜びに溢れています。スタジオ35分では今後もサブジェクティブフォトグラフィーに関係する写真家をシリーズとして紹介していきたいと考えています。その第一弾となる本展では、遺族により管理されたニュープリント約30点を展示予定しております。

Profile :
新山清(Niiyama Kiyoshi 1911-1969)
1911(明治44)年、愛媛県生まれ。
1935(昭和10)年、理化学研究所入社
1936(昭和11)年、パーレット同人会に所属し、写真家の活動を始める。
1958(昭和33)年、旭光学商事株式会社(現 リコーイメージング株式会社、旧ペンタックス株式会社)に入社、東京サービスセンター所長となってからも、多くの一線で活躍する写真家と交流を持ちながら、自身もアマチュアカメラマンの指導を自身の写真家としての活動も積極的に行う。ドイツの写真家・オット・シュタイナートとの交流の手紙が発見され近年話題となった。
1969(昭和44)年5月13日、精神異常者の凶刃に倒れ急逝。

サブジェクティブ フォトグラフィーとは?

1950年初頭にドイツ人の写真家オットーシュタイナートにより提唱された写真表現の思想です。1951年にドイツ ザールランド地方でグループ展「サブジェクティブ フォトグラフィー」が開催されました。翌年にその展覧会の出品作からシュタイナート編集で同名の写真集「サブジェクティブ フォトグラフィー」が出版されました。その本にはシュタイナート本人含め、マン・レイ 、モホリ=ナギ・ラズローなど国際的に著名な写真家58名が収められています。
サブジェクティブ フォトグラフィーは日本では主観主義写真と訳され、当時、日本では報道写真や土門拳を中心としたリアリズム写真運動が盛んであり、それらの対抗馬としてとらえられていたようです。土門拳の提唱するリアリズムの定義は「対象のモチーフに対する客観的な真実だけを追求するもので作者の主観的なイメージやファンタジーを追求する世界じゃない」とする一方、シュタイナートは「主観が持つ個性的なしかも自由な実験的な技術の中から新しい人間性、造形性もともに発見したいという考え」という事なのでその対抗としてとらわれていたのも仕方がないのかも知れません。
1956年に日本主観主義写真連盟(瀧口修造、阿部展也、名取洋之助など40名)による「国際主観主義写真展」が行われた。この展示にはのち活躍する植田正治、奈良原一高、大辻清など含め新山清も参加していました。しかしこの後日本での主観主義写真のムーブメントは急速に消滅してしまいました。その要因は多々あると思いますが、概念の曖昧さにより観衆に理解されずらく、それに加え作家たち自身がその枠に入る事自体に違和感があったのかもしれません。